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Blog 制作についてのおぼえがき

なにをする 2010.04.05

ある日、自由の女神の幽霊みたいな巨大なカミサマが降りてきて、

五大陸をくまなく巡りながら全ての人間の頭の中に語りかける。

「あなたがた人間の生殖能力は、この代でおしまいです」

圧倒的な説得力でそれを納得させる。

もしこんなことが起きたら、みんな何をするだろう。

 

きっとお金は意味をなさなくなると思うし、人殺しや犯罪も減ると思う。

政治もなくなると思うし、個人的な競争はなくなると思う。

最後の人間たちがやることはなにか。

 

僕は、きっと自己表現や芸術こそが選ばれると信じている。

富も名誉も善も悪も男も女も、あらゆる関係がなくなってしまったとき、

自分だけが残る。

魂の本質的な寂しさと、膜をやぶろうという意志だけが残ると思う。

 

もちろんそんなカミサマは降りてこない。

しかし、僕は僕だけしかいない。あなたもあなただけしかいない。

誰もかもが限りなく1個で、確かな関係など何ひとつとして無い。

すべて壊れて死ぬ。

 

みんなその命を終えて、1個1個の世界はそれぞれ終了する。

さて、なにをするべきだと思う?

 

僕の宗教 2010.04.03

誰かが何かを感じるとき、その何かはその誰かの脳に感じられているはずだ。

でも、人と人は脳を直接つないだり、感じたことをデジタル化することができないので、自分が感じたことを誰かに伝えようとするとき、別の何かにエンコードして、物理的な伝達をはかり、それを受け手がデコードし、何を伝えようとしたのか考える必要がある。

送り手の脳内で発火した感覚そのものの純度を、100のまま受け手にデコードさせることはとてもむつかしく、それは他人の脳を体験することに等しい。

僕らはなにかを正確に理解しようとするとき、多くの情報を求める。

正確に伝えようとするときにも多くの情報を込めようとする。

それは言語や数式を用いてものを「考えている」からだ。

逆に、僕らは「考えざるをえない」生き物だとも言えると思う。

 

もともと、感じることと考えることは対極にあると思う。

だから、エンコードした情報が複雑化するほど、その情報量に純度は反比例する。

つまり、考えるほどに、感じることから遠ざかると思う。

人間が感じたことのすべては、説明すればするほどに、発火した感覚の根本から遠ざかると信じている。

理解しようとすればするほどに遠ざかり、同じにしようとすればするほどに違っていく。

そう信仰している。これは個人的な宗教だ。

感じたことを、なににも置換せずに直接受け取らせることができたとしたら、それは神の領域に触れる。

しかし、すべての表現は説明のたぐいだと思うから、表現すること自体が信仰に反していることになるが、そうしなければどうしようもない。

僕らが神でないヒトだからだ。

考えなくては知ることのできない育ち方をした生き物だからだ。

 

死ぬためには生きていなければならないように、その矛盾への挑戦を芸術と呼ぶのではないかと思っている。

 

炎と声 2010.01.28

ある空間に、僕の心と、誰かの心と身体、最後にカメラがある。

僕の心はカメラを使って誰かの身体を撮る。誰かの身体を僕は見ている。

誰かの身体に僕は想う。そして誰かの心がある。火柱が立っている。

誰かの心は僕の心になにか言おうとする。炎の色が変わっていく。

僕は聞きたがっている。もの言わぬ身体の声を。言葉ではない、音だ。

が焼く視界声をあげる。1秒間で真四角に変色する。

僕は誰のことも写すことができない。

僕の中のあなたを視界に映しているだけだ。

僕の中であなたが燃える音を聴いているだけだ。

 

写真がうつしているもの 2010.01.26

写真には3つのものがうつると思っている

写るもの、映るもの、移るものの3つだ。

ひとつとして欠ければ表現活動としての写真には満たない。

「写る」ものは写真の物理的な芯だ。紛うことのない事実が目の前にあるということを証明し、光が物質の形をフィルムに焼き付けることだ。

「映る」ものは写真の精神的な芯だ。なぜそれを撮ったのか。どんな気持ちでシャッターを切ったのか。自分の心が映ることだ。

「移る」ものは写真の意義的な芯だ。自分の心が映された、目の前の事実を写されたものが、誰かに何かを移し伝えることだ。

その何かこそが、表現された写真の真実あって、僕は写真が芸術なのか記録なのかという疑問に、そう答えたいと思っている。

 

cream! 2010.01.17

"cream"を撮影しました。現像待ちです。

フィルム脱着に初めて失敗し、撮影済みのフィルムをまるまる1本駄目にしました。当たり前のことが当たり前にできないのは半人前だからです。

モデルの方には本当に申し訳なく思っています。

本当にすみませんでした。

 

new line! 2010.01.01

あたらしいライン(名称未定)を撮影しました。はじめての男女混合です。

 

同時性について 2009.12.08

一塊の肉がそこにあるとして、誰かがそれに腰掛ける。

それは果たして柔らかいか、硬いか。

柔らかいと感じた次の瞬間、右隣にその肉よりも柔らかい肉が現れる。肉は心の中で硬くなる。その逆も起こる。

硬いと思った途端に、左隣にさらに硬い肉が現れる。肉は心の中で柔らかくなる。あるひとつの現象は関係性を帯びた途端に何にでもなる。

全部は同時で、輪のように回転している。回転した途端に凍りつく。凍りついた途端に燃え上がる。燃え上がった途端に吹き荒れる。吹き荒れた途端に無になる。無になった途端に溢れ出る。

そうして回転している全のひとつの、ひとつの全の、一瞬と果てしなさと同時に握り、同時に放つこと。

「やわらかい」と感じることで「かたい」と同時に感じること。

また感じさせること。

 

new line! 2009.11.30

数は少ないですが、あたらしいライン(名称未定)を撮影しました。

 

鋭意工事中! 2009.11.25

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このコーナーについて 2009.11.22

ここでは制作物についてのおぼえがき、かんがえていること、これから制作したいものについての構想、発表したものについて、目標、これから写真を撮りたいと思っている方向けの簡単な案内などをちまちまと書いていこうかと思っています。不定期。

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